
樽岡石油は1868年の創業以来、この街で暮らす人、働く人のそばで、日々の暮らしや仕事を支えてきました。薪(まき)や炭から始まり、灯油、そしてLPガスへ。時代とともに必要とされるエネルギーの形は大きく変わりましたが、「断らず、止めず、安全であること」を大切に、確かなエネルギーをお届けするという私たちの使命は決して変わりません。
これからも地域のインフラを支えるエネルギーのプロフェッショナルとして、柔軟に進化を続けながら、皆様の暮らしと産業をお守りいたします。
明治〜昭和初期:尼崎の暮らしを支える「燃料屋」として
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明治初年
(1868年頃)燃料屋として創業当時、私たちが店を構える尼崎の築地周辺には、多くの醤油屋が軒を連ねていました。活気ある地域の中で、煮炊きなどの生活に欠かせない「燃料」への需要にお応えするため、薪や炭の販売を始めたのが樽岡石油の原点です。近くの運河を利用し、遠く土佐(高知県)方面から船で運ばれてくる良質な炭などを仕入れ、地域の皆様へとお届けしておりました。
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昭和12年戦争のため統制機関に吸収される
昭和20〜30年代:戦後の復興とエネルギーの転換期
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昭和25年7月1日統制解除 再び樽岡商店として木炭・薪・豆炭・練炭の卸売を始める
戦後、統制が解除されて再び商売を始めました。当時扱っていた「豆炭」はとても火持ちが良く、就寝時の足元を温めるこたつや、尼崎の中央市場で働く方々が早朝の寒さをしのぐ暖房としても重宝されていた燃料です。また、調理用の「練炭」も多くのお客様にお買い求めいただきました。
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昭和25年9月1日樽岡燃料株式会社設立
当時は地域のあちこちに燃料の小売店があり、そうした販売店様へ商品を卸す会社として設立いたしました。
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昭和29年1月燃料の変遷に伴い営業品目に灯油・灯油器具を加える
時代の変化に伴い、薪や炭といった固形燃料から、利便性の高い灯油などの液体燃料へと主力が移り変わり始めました。私たちは古いやり方に固執することなく、常に時代のエネルギー需要に合わせて、お届けする商材を柔軟に変化させてきました。
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昭和33年7月営業品目にLPガスを加え、関連商品としてガス器具・流し台の取扱いを始める
プロパンガスの販売開始に伴い、単にガスを販売するだけでなく、「お風呂を沸かす風呂釜」や「料理をする流し台(シンク)」の販売・設置も手がけるようになりました。「燃料があるところに暮らしがある」という考えのもと、お客様の生活全般のサポートに努めてまいりました。
昭和30〜40年代:高度経済成長とインフラ網の構築
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昭和37年11月15日樽岡石油株式会社を設立
卸売を行う「樽岡燃料」とは別に、直接お客様へ販売を行う小売部門として現在の会社を設立いたしました。
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昭和37年12月1日モービル石油株式会社と代理店契約締結
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昭和39年1月31日LPガス充填工場を完成
メーカーから仕入れるだけでなく、「自社でガスを詰める」工場を建設しました。製油所からタンクローリーで直接ガスを仕入れることで、お客様へより安く安定してガスをお届けできる体制が整いました。また、工場から地下パイプラインを敷設し、近隣の団地(約700世帯)へのガス集中供給も実現させ、地域の暮らしを支えるエネルギー供給体制が大きく前進した出来事です。
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昭和41年4月25日同工場内にLPガス容器検査所敷設
ガスボンベの安全性を自社で厳格に検査する施設を設け、保安体制をさらに強化しました。
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昭和44年3月1日ガソリンスタンド建設 ガソリン・軽油・潤滑油の小売・卸売開始
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昭和45年12月11日ガス事業法(第37条の2)の許可を受ける
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昭和47年12月1日シャープ株式会社と代理店契約締結 家電製品の卸売開始
当時の先代社長は大変な新しいもの好きで、「これからは家電の時代が来る」といち早く契約を結びました。まだ大型量販店がなかった時代、地域の公民館を借り切ってテレビや冷蔵庫の展示販売会を開くなど、エネルギーの枠を超え、新しい挑戦を続けておりました。
平成〜現在:変わらぬサービス精神で、次の時代へ
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平成12年9月1日樽岡燃料株式会社と合併
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平成15年11月20日ジクシス株式会社と特約店契約
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平成29年10月1日JXTGエネルギー株式会社(現 ENEOS株式会社)と特約店契約
石油業界の再編に伴い、長年地域の皆様に親しんでいただいたモービルブランドから、現在のENEOSブランドへと移行いたしました。お店の看板は変わりましたが、「自分の車だと思って、お客様の車を大切に扱う」という真心のこもったサービス精神は、創業時から決して変わることなく現在へと受け継がれています。


